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2011.06.03 ◇interview vol.4◇ 田川徳子(劇団赤鬼)

今回は田川徳子さん(劇団赤鬼)。
ご自身のことやこの作品への意気込みなどお伺いしました。
―今日はよろしくお願いします。
 まずはご自身が演劇に興味を持ったきっかけを教えてくださいますか?

高校のとき友達に演劇部に誘われたんです。演劇なんて全然興味なかったんですけど、新入生公演が終わった後に「演劇を知っている人だけじゃなくて、誰が見ても面白い事をやりたい」って思ったんです。
1年生の地区大会で個人演技賞というのを頂きました。緊張して前日は一睡もできず、本番も声はガラガラやったのに。まわりは別の子がとるって思っていました。同級生なんですけど、本当にすごく個性的でオーラのある子がいて。
その時、みんなの前で母親に電話して受賞の報告をしたんです。そしたらその子が電話変わって、私より興奮して「徳子が取ったんです!!」って言ってくれたんです。私も「チーム一丸となって取りに行った」ってすごく嬉しくなって、またちょっと続けてみようって。結局3年間、引退まで続けました。

―では、そのまま大学の時も学生劇団に入られたのですか?

大学はアウトドアサークルに入ったんです。ただ、高校時代の先輩が立ち上げた劇団の夏の公演を毎年手伝ってはいたんですけど。
実はその頃、別に夢があって、ラジオのDJになりたかったんです。大学に行きながらラジオのDJ講座に通っていました。そしたら人生がガタガタって大きく動き出したくらいFMが大好きになって、FMのことばっかり考えるようになったんです。「音楽と声だけで伝えるってすげぇ」って。
で、私の卒論は「イントロ乗せの研究」でした(笑)テンポよくどんどん曲と曲をつないで曲紹介をイントロに乗せちゃうFM、その中でも802をずっと研究してて。もともとは関西大学文学部のドイツ語ドイツ文学科だったんです。でも、そういう研究がしたくて3年からヒューマンサイエンスコースに編入しました。そこだとフィールドワークでなにか研究するのをバックアップしてくれるんです。
それで私はオーディションで毎週水曜に三宮のコミュニティFMの帯の番組を持てるようになったんですよ。ツインDJでかけあいながらやるんですけど。すごく嬉しかったし、卒論はそこでの実戦経験と有名なDJの方にインタビューさせてもらって書きました。
でも、卒論が終わったら私のなかで大学の総決算が終わってしまったんです。コミュニティFMの枠も持てたけど、結局喋れなくなってしまったんですね。プレッシャーに負けてしまって。サテライトスタジオみたいにお客さんを見ながら喋るんですけど、ぽろぽろ言葉が出て来なくなっちゃうんですね。それに音楽の知識と洋楽の知識と・・・頭の中の引き出しが全然たりないなって思って。で、なにか表現する仕事に関わりたいってずっと悩んだ挙句、就職しました。とりあえず社会経験やなっていう。

―では、その就職して2年やられてやめようと思ったとき、なぜDJじゃなくて演劇の道を選ばれたのですか?

常に自分の人生、人への想いで動かされてきているんですけど、実は大学の時に平行して演劇のワークショップも受けてたんです。それはもう普通に興味があったからなんですけど。毎年夏に先輩によばれて公演の手伝いをしてたんですけど、最後の年だけやらなくて「あれ?」ってちょっとがっかりして。
それでモヤモヤとひきずったまま、インキ会社の営業事務をやっていました。最初の1年は家に寝に帰るだけっていうくらい忙しくて、インキの勉強して、寝て、起きて仕事行って、っていう。1年半すぎてワークショップで知り合った友達が「のりちゃんこれ受けへん?」って持ってきたのが劇団赤鬼のワークショップやったんです。
仕事始めてまず1年は舞台観ないでおこうと思ったんですよ。舞台に引張られる気がしたから。けど、ワークショップを始めたとたん、ずっとふつふつした表現への気持ちが湧いてきて、どんどん自分の中の空気が入れ替わっていって、仕事も頑張りだして、逆に。「毎週何曜日はなぜかあの子早く帰るわ」みたいな(笑)ワークショップは4カ月間あったんですけど、とにかく一生懸命参加したんです。
で、2月にその発表公演があったんですけど、この公演が終わったら仕事をやめるか考えようっていうくらいのめりこんじゃったんですよ。しかも劇団側からも「公演が終わったら、入団オーディション受けへんか」って言ってきてくれたんです。それで「私はここでやらへんかったら多分ずっとやらへんやろう」って思って退職届書いてやめました。でも退職届は「音響の勉強します」ってちょうど興味の半分半分みたいなこと書いて(笑)まわりにはさんざん止められたんですけど。さらに言うと、実はやめた後に赤鬼のオーディションを受けるという・・・落ちてたらどうしてたんやろうって思いますけど。

―それから演劇を続けて今何年目ですか?

今年で5年目です。やっと少しずつやりたいことが明確になってきたときにJUIMARCという個人ユニットを立ち上げたんですけど。相手とゼロから向き合って二人芝居を作るっていうプロジェクトで、私が憧れている人の連絡先を聞いて、会って、話して、話して、OKでたら、「来年の何月に一緒にやりませんか?」っていうことを2年くらい続けています。このプロジェクトは生きてる限りはずっと続けたいですね。
JUIMARCは公演自体は5回、東京と多可町の方でも上演していて、今度7月には愛知でも上演します。実は2作品目のときに烏丸ストロークロックさんの「タイフーンパニック」という10年前の作品を上演したのが初めて京都に触れた、ということなんですけど。

―でも、神戸で活動されていて、京都出身の作家の作品を扱うというのはなかなないですよね。実際、京都の感触はいかがでしたか?

なんで今まで京都をまったく知らなかったんだろうって感じだったんですよね。
「八月、鳩は還るか」が京都で芝居を観た初めての作品だったんですけど、もう役者としてでなく、純粋に客として観てたんです。休憩ありの3時間やったけど、あっという間やったんですよ。どんな稽古してるんやろうってずっと考えてました。囲み舞台や、一般の人を村の中に入れて最後気持ち悪くなっていく感じがほんまに怖かったです。一人の人を敬いすぎるとどうなっていくかっていう心理描写が、友人も非常に関心してて、「柳沼さんが潜入したんじゃないか?」って(笑)それから、「仇野の露」でも衝撃がずっと続いていて、出演が決まったときはめっちゃ嬉しかったです。

―今は京都に通われて稽古をされていますがいかがですか?

私自身、今回京都でやるなんてイメージもありませんでしたし、本当にご縁で今回のオーディションの案内を頂いたんです。人と人との縁で動かされて烏丸ストロークロックや出演者のみなさんと出会えて、黒木陽子さん(劇団衛星)ともやれるなんて、めっちゃうれしいです。京都の人の中に自分がポッと入ってるっていうのも、5年前の私は信じられへんたやろうし、びっくりしていると思います。
稽古はやっぱりいつも受けていたものと違うから、柳沼さんの言っていることは大体なんとなくわかるけど今はみえない、それでもみえる瞬間があって、柳沼さんと「そこっ!」っていうのがきてくれたらいいなって思っています。でもやっぱり正解に近いものが掴めてないと怖いんですよね、どの方向に行っているのかどうかもまだわかんないし、不安でしょうがないんです。実はこうした感覚が生まれて初めてなんですよね。贅沢な悩みというか。だからずっとドキドキしてるんです。生だから毎回すっごく集中するし、同じことは絶対なめないようにしたいです。
そして出演者同士、対等なことが本当にうれしいです。黒木さんが「いや、田川ちゃん全然気にならなかったよ」とか市川さんも「田川ちゃん、台詞合わせて」とか。それがプロデュース公演の醍醐味なのかなって。
この作品にトライしてるのを大阪や神戸の友達やお客さんにも観に来てもらいたいです。みんなびっくりしますよ、京都の芝居に出るんやって。

多分私は今、役者としてもう一つ皮をめくってもらえる機会に直面していると思います。私の人生って、すごく落ちている時に限って自信をつけてくれている感じがあって、「まだがんばれる、もうちょっとやっていいんちゃうか」って、自分を押してくれているタイミングが今回も合ったんです。だからこの「異邦人」という作品も、もう一段階成長できるチャンスなんじゃないかと思っています。

―ありがとうございました。


2011年5月11日@京都駅
聞き手:川那辺香乃(トリコ・A)
 
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